去年の夏、突然入院することになってしまった体験談

体調がどうもおかしいと感じるようになったのは、一年前位からでした。

それまでの私は比較的健康で持病はなく、元気に働くことができていました。

それが、ある時から形は違えど連続して頻繁に感染症にかかるようになりました。

ウイルス性腸炎になったり、リンパ節炎になったり、いくら健康に気を遣っても一か月に一度は様々な感染症で高熱が出て死にそうになり、度々救急搬送されるようになりました。

どの病院へ行っても根本的な原因にたどり着く医師はおらず、いつも検査や抗生剤で症状を抑えるのみでした。

しかし本当に仕事に支障が出るようになったのは入院から一か月ほど前のことでした。

7℃以上の微熱が毎日続く、吐き気がする、嘔吐を伴う頭痛がする、目眩がして仕事中立っていられなくなる、そして最後にはものすごい勢いで浮腫が全身に出て尿がほとんど出なくなり、二週間で20キロ体重が増え、全身の痛みで歩行不可になり地元の診療所から総合病院へ紹介状を書いてもらいました。

そして、何とその日に入院が決定し、何も準備していなかったので本当に焦りました。

とりあえずタクシーを家まで往復させ、10分で支度し病院へ戻りました。

戻らなくてはならない時間が決められていたので、もうパニックになり最低限の物しか持っていけず逆に必要のないものを持ってくるなどし、しばらく不便でした。

その時はまさかそんなに長期間になるとは思っていなかったのです。

何より困ったのが主人がその日に限ってスマホを忘れていたことで、緊急入院になったことさえ伝えられずメモ書きしか残せませんでした。

その晩に腹水を抜く手術をやりました。

本来は家族と話し合って書くべき手術のリスクなど書かれた同意書も全部自分でサインしました。

いざという時のためにスマホ以外で連絡する手段を日頃から話し合っておくべきだったと思います。

腹水を抜くのに一時間半もかかり、麻酔の針がめちゃくちゃ痛くて本当に辛かったです。

主人は帰宅後大至急病院へ来てくれたので必要なものを伝え、翌日にはいろいろと揃えて持ってきてくれました。

その後腎生検や全身の検査をしたところ、「ネフローゼ症候群」、「バセドウ病」に診断されました。

その後様々な検査から国の指定難病「全身性エリテマトーデス」(通称SLE)と診断され、ネフローゼ症候群もバセドウ病もその病気が原因となっていることを説明されました。

SLEは免疫が自分の細胞(臓器など)を攻撃していってしまう、原因不明で根本的な治療法のない病気です。

大量のステロイドや利尿剤点滴などにより免疫力の暴走を止めることはできましたが、今度は免疫が通常の人の八分の一まで下がって危険なレベルに達し退院できなくなってしまいました。

成分輸血と普通の輸血を合わせて10回ほどし、なんとか命を助けて頂きました。

結局二か月間も入院する羽目になり、入院費用は40万円以上かかりましたが、持病があっても入れる入院保険に加入していたのでほぼ全額カバーして頂け本当に助かりました。

結局仕事は退職することになりました。

一生免疫抑制剤とステロイドを飲み続け、紫外線を避け、食事制限はあるものの毎日普通に生活できています。

入院すると自分の病気のことはもちろんですが、家族のこと(主婦なので家事を放置すること)、職場に迷惑をかけること、何よりお金のことが心配になります。

私は保険に入っていて入院費用のことだけでも安心できたのでありがたかったです。

入院を経験し、命のありがたみを感じました。

また、たくさんの方が献血して下さったおかげで今の私の命はあるので、毎日を大切に行きたいと思っています。

還暦を前にして死亡保険に加入時に迷った体験

サラリーマンにとっては、定年退職は大きな人生の節目と言えます。

そんな定年を迎える還暦を前にして、老後の生活設計と共に、生命保険の見直しも行いました。

医療保険やがん保険は、55歳に見直したのですが、死亡保険の見直しが残っていたのです。

死亡保険としては、生命共済と簡易保険の2つに加入していました。

貯蓄性のある簡易保険は、60歳満期に設定していたので、満期金は老後資金として活用する事としました。

また2人の子供も結婚独立し、もう高額の死亡保険は必要ないので、掛け続けて来た生命共済も継続をストップしました。

この頃に、両親が相次いで他界し、葬儀を営んだのですが、その額がやはり200万円程度必要な事を再認識し、その費用分を充当する死亡保険には加入すべきだと考えました。

色々な死亡保険をチェックした結果、1年刻みで加入期間が決められる生命保険会社の単純明快な掛け捨て商品にする事に決めました。

この死亡保険に、夫婦それぞれ加入する事としたのです。

しかし、加入時期間をどう設定すべきで大いに悩みました。

終身は安心ですが、掛け金が高くなり、年金生活では負担が少々重すぎるのです。

そこで、死亡時期を男女それぞれの平均寿命と仮定して、現在の年齢を勘案して加入しました。

私の保険金は200万円、妻の保険金は500万円としました。

妻は私より5歳年下で、一般的には私が先に旅立つ事になりますが、その時点では老後資金もまだ残っているし、葬儀を営んだ経験もある妻が色々と準備するので、最低限で良いと考えました。

しかし、妻が亡くなる時には、長男に段取りしてもらう必要がありますが、未経験なので余裕がなければ不安だろうと考えて、そうした保険金に設定したのです。

こうして加入はしたものの、定期なのでそれ以上長生きした時には死亡時には1銭も入りません。

そこで期間満了時に再加入するとなると、掛け金は非常に高額となります。そんな事を考えると、本当に正解だったのか今でも疑問に思っています。

加入から5年程度経過した時、再度見直そうと思っていますが、自分の死亡時期を考えて損得を計算するのは、やはり何となく良い気のするものではありません。

長生きした場合の事を考え、実際に退職後の生活パターンが身に付いた時に、定期的に節約できる方法を見出し、その分を積み立て貯蓄で最低限の100万円程度を別途蓄える事として、この悩みは止めおきました。

高齢になって、死亡保険等に加入するのはやはり難しいものだと感じました。

子宮内膜症(チョコレートのう腫)で手術をしたときのお話

12年前に子宮内膜症のチョコレートのう腫の手術をし、5日間入院しました。

まず、子宮内膜症で手術するに至った経緯をお話します。

大学を卒業し、ちょうど働き始めた23歳の頃から生理痛が激しくなりました。

特に生理1日目と2日目が酷く、下痢をともなう腹痛に悩まされていました。

市販の痛み止めを4時間おきくらいに服用し、脂汗をかきながら必死に仕事に励んでいました。

仕事が終わるのも遅く、病院に行くこともせず、とりあえず痛み止めでごまかしながら過ごしていました。

が、ある日あまりの痛みに倒れてしまい救急車で病院に運ばれました。

そこでようやく子宮内膜症と診断され、卵巣が7センチほどに腫れており手術をする必要があると告げられました。

手術までの経緯ですが、まず術前に3ヶ月ほど癒着をはく離するためのホルモン剤の注射を打ちました。

手術前日に入院し、下剤と浣腸でお腹を綺麗にし、看護婦さんに下半身の剃髪をしてもらいました。

下剤はポカリスウェットのような液体で、かなりの量を飲まされました。

効き目は抜群で、お腹はげっそり全く力が入らなくなりました。

もう出るものは何もないだろう、というような状態で最後に浣腸でとどめをさされたような感じでした。

もちろん18時以降は絶食で、21時以降は飲み物も駄目でした。

翌朝は、緊張と空腹で頭がもうろうとしていました。

午後からの手術で、11時ころに看護婦さんが来られ、腕に注射をしました。

その後、ストレッチャーに乗せられ病室を出発し、エレベーターで手術室に向かったのですが、このあたりから記憶がありません。

手術は開腹ではなく、腹腔鏡で行いました。目覚めたときは病室で、遠くのほうで声がしました。

もう夕方のようでした。

主人が「大丈夫やで~成功したで~」と言ってくれて、ほっとしてまた寝てしまったようでした。

次に目が覚めたときは、たぶん夜中でした。

暑くてナースコールを押し、寝て、しばらくして次は寒くてナースコールを押し、をどうやら何度も繰り返していたようですが、あまり覚えていません。

地獄から這い上がってくるような苦しさに一晩うなされていました。

少しだけコタツで寝てしまったときの苦しさに似ていました。もちろんもっとしんどかったのですが、、、。

翌朝は、看護婦さんがベットを起こしてくださり、一口水を飲みました。

が、飲んだ瞬間吐きました。

尿の管を取って、初めてトイレにいくときは支えなしでは歩けませんでした。

その日は、ゼリーを食べただけで、この先どうなることやらと思っていましたが、次の日には格段に良くなり、自分で歩くこともでき、シャワーも浴びることができました。

そして、術後4日目には自分で荷物を持って退院することができました。

その後、生理痛もずいぶんと良くなり、痛み止めを服用せずに普通の暮らしができるようになりました。

手術跡も小さく、ほとんどわからないくらいです。

手術をして良かったと思います。